午前2時すぎ、新宿・歌舞伎町のネオンが静かに息を吐きはじめるころ、桜 葉乃(さくら はの)は、タクシーのドアを閉めた。
帰り道の信号の音が、いつもより遠く感じられたのは、今夜、少しだけ感情を使いすぎたせいかもしれない。
部屋に戻ると、着替えより先に、棚の缶に手を伸ばす。
──麻炭のお香。
京都麻の葉の小箱から、小さな円錐型を取り出す。
ライターの火が一瞬だけ照らし出す先端。
やがて、煙が音もなく立ち上がる。
香ばしくて、やわらかくて、どこか土のような安心感をともなう、深い匂い。
葉乃は、ソファにもたれながら目を閉じた。
店で交わされた言葉、笑い声、見送った背中。
そのすべてが、煙に混じって空気に溶けていくようだった。
「お疲れさま」って誰にも言われない仕事だからこそ、この香りがあってよかったと思う。
誰とも話さない時間にだけ、自分の輪郭が戻ってくる。
麻炭のお香は、天然素材でできている。
化学香料を一切含まず、燃えるたびに、空気をすこしだけ“まっさらに”してくれる。
煙が細くなりはじめたら、そろそろ夜が終わるサイン。
この香りが消えるころ、葉乃はやっと自分の名前を思い出す。
今日もたくさん演じた。
でもこの部屋では、誰にも見せない“素”に戻ってもいい。
明日はまた笑う。
だけど今夜だけは、誰でもないわたしで眠る。
煙が静まるころ、夜の仮面はそっと外れる。
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