月曜、21時。
帰りの電車では座れなかった。
靴擦れした左足をかばいながら立っていると、吊り革を持つ手が少し震えているのがわかった。
田辺 芽衣(たなべ めい)、新社会人の22歳。
今日は、誰にも会いたくなかった。
会社のグループチャットには返信せず、駅前のコンビニでカット野菜と缶チューハイを買った。
いつもより暗い色の缶を選んだのは、気分が沈んでいたからかもしれないし、なんとなく、だったのかもしれない。
部屋に着いて、スーツのまま棚の前に立つ。
靴を脱ぐより先に手に取ったのは、小さな黒い円筒。
──麻炭のお香。
ライターを近づけると、じゅっという音とともに火が走り、そこからゆっくりと煙が立ち上った。
意識していなかった呼吸が、自然と少し深くなる。
スモーキー。
でもとがってない。
甘くもないし、派手でもない。
だけど、じんわりと空間の“角”が丸くなっていくような香り。
芽衣は椅子に腰を下ろし、視線の先で煙がカーテンの影に揺れるのを見つめた。
スマホが震えたけれど、取らなかった。
通知に応えるより、煙の揺らぎを見ていたほうが、今日は大事な気がした。
煙は、部屋の空気のかたちを見せてくれる。
「ちゃんとここにいるよ」と教えてくれるみたいに。
わたしが、この空間で息をしているということを。
芽衣は思う。
別に、毎日がんばらなくてもいい。
誰とも話したくない夜があっても、それでいい。
でも、「自分とさえもうまくいかない」って思う夜には、言葉も指示もくれない“煙”がそばにいてくれたら、それだけで違う。
香りで癒すとか、整えるとか、そういうことじゃない。
ただいてくれるだけの存在。
麻炭の香りは、芽衣にとって、そういう存在になっていた。
火が消える直前、「ぱちっ」と小さな音が鳴る。
それが夜の終わりの合図みたいで、芽衣はその音が好きだった。
誰とも話したくない夜に。煙は、そっとそばにいてくれる。
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