香月 結(こうづき ゆい)、29歳。
国際線の客室乗務員。
カリフォルニア便から帰国した夜、部屋の明かりをつけるより先に、小さなパッケージを開けた。
──麻炭のお香。
京都のブランド「京都麻の葉」がつくる、円錐型の黒い香。
火をつけると、すっと煙が立ち昇る。
香りはほとんど主張しない。
でもその“静けさ”が、何より贅沢だと結は思っていた。
この香りを、アメリカの同僚に贈ろうと決めたのは、 彼女の「最近、眠れないの」という一言がきっかけだった。
彼女の暮らす部屋には、大きなキャンドルがあった。
甘い、重たい、香りが主張するものばかり。
でも、この麻炭のお香は違う。
香らせるのではなく、沈める。
静けさを部屋に立たせる。
“日本の香り文化は、引くことにある” 機内で何気なく話したこの言葉に、彼女は目を丸くしていた。
翌週、結は麻炭のお香を2缶、丁寧に梱包した。
便箋にそっと一言だけ添える。
This is a fragrance that doesn't try to smell.
It just clears space.
For you to rest.
届いたとLINEが来たのは、3日後の深夜。
「灯した瞬間、静かになった。空気が一枚、薄くなった気がした」
それが彼女の言葉だった。
香月は、返事を書かず、部屋の電気を消した。
自分の麻炭をまたひとつ、火にかけた。
香りじゃない。
ただ“整える”でもない。
香月はそれを、“自分を持っていない時間”を洗い流す儀式だと思っていた。
煙がゆっくりと消えていくころ、結は思った。
──これは、たしかに“贈れる香り”だと。
香りのない香り。それは、余白を贈るということ。
→ 麻炭お香を見る
▼ 客室乗務員、香月 結の「京都麻の葉 物語帖」
→ 炭七味 × 客室乗務員|一振りで、コンビニごはんが“帰国メシ”になる
→ 檜精油 × 客室乗務員|この香りで、オンとオフの境界線を引いている